「自分らしく生きたいのに、うまくいかない」
「誰にもわかってもらえない」
そんな思いを抱えている方へ。
私もかつて、同じように感じていました。
「私なんて誰にも受け入れられない」
ずっと心の奥に、そんな思いを抱えて生きてきたのです。
人前に出るのが苦手で、恥ずかしがり屋。
人の表情や言葉にすぐ影響されてしまう―
私はいわゆる”繊細さん(HSP)”と呼ばれる気質を持っています。
ほんの小さな言葉で心がざわついたり、
人の悲しみを自分のことのように感じてしまったり。
周りに合わせようと必死になっても、
「私にはできない」「私はダメだ」
そんな言葉ばかりが頭の中をぐるぐると回っていました。
笑顔の裏では、いつも心が泣いていました。
どんなに頑張っても報われない。
誰かの期待に応えようとするほど、自分を見失っていく――。
あの頃の私は、まるで「他人の人生」を生きているようでした。
そんな私が、いまでは
マヤ暦×セルフラブの講師、そして癒しの波動セラピストとして、
多くの方の“心の目覚め”をサポートしています。
けれど、ここにたどり着くまでの道のりは、
決してまっすぐではありませんでした。
むしろ、光の見えないトンネルを手探りで歩くような日々でした。
自分を責め続けて心が限界に達したとき、
もう何も信じられず、何も感じたくなくなったとき――
そんな私のもとに、「奇跡のような出会い」が訪れたのです。
それは、「マヤ暦」との出会いでした。
この宇宙のリズムと魂の約束を知った瞬間、
初めて“自分を理解できた”という感覚になったのです。
「私は間違っていなかった」
「この繊細さにも、ちゃんと意味があったんだ」
その気づきが、私の人生を静かに、でも確実に変えていきました。
自分を責めることをやめ、
少しずつ、自分を抱きしめるように受け容れていく中で、
心は癒え、世界がやさしく変わりはじめたのです。
いまでは、こう感じています。
――世界は、思っていたよりずっとやさしい。
――人生は、愛とつながりでできている。
――そして何より、今この瞬間こそが幸せなのだと。
この本では、そんな私がどのようにして
絶望の中から希望を見つけ、
本当の自分と出会い直したのかをお伝えしていきます。
もしあなたが今、
「自分らしさがわからない」
「頑張っているのに報われない」
「このままでいいのかな」と感じているなら――
どうか、少しだけ立ち止まって、
心の声に耳を傾けてみてください。
あなたの中にも、必ず“愛の光”が眠っています。
この本が、その光と出会うための小さな扉になれたら嬉しいです。

プロフィール
まあや(MAAYA)
癒しの波動セラピスト / マヤ暦×セルフラブ講師・幸せ探求家
経歴・活動歴
・2015年スピリチュアルな学びに出会い、自分自身と深く向き合う日々がスタート。
・2017年マヤ暦と出会い、魂が震えるような感動を覚える。
それをきっかけにセラピストとして活動を開始。
以来、マヤ暦を軸とした講座や個人セッション、ワークショップを通して、心と魂の調和を大切にしながら、一人ひとりが自分らしく輝く未来を歩むためのサポートを行っています。
主な取得資格・受講歴
・マヤ暦鑑定士マスター認定
・マヤ暦学講座修了
・心理セラピスト認定
・HSPカウンセラーアドバンス認定
・ヨガニードラセラピスト認定
・ワンネス瞑想トレーニング修了
・JAAアロマコーディネーター認定
・「意識の目覚め」コース受講
・「悟り」コース受講
・「富の創造」講習受講
・瞑想、チャクラ活性、リーダーシップコース ほか多数修了
特技・趣味
・カメラ
・書道
・硬式/軟式テニス
・山登り
・フラダンス
・料理
・クラシック音楽鑑賞
著書
『繊細な私が自分らしく輝く人生を手に入れるまで』
(Amazon電子書籍)
明るく元気に見えるのに、繊細で生きづらかった【幼少期】
私は子どものころ、明るく元気で活発な子に見られていました。
おままごとよりも男の子と外で走り回るのが好きで、木登りをしたり、泥だらけになって遊んだり、階段から転がり落ちて擦り傷を作るのも日常茶飯事。
新しいものに出会うと、触れてみたり試してみたりせずにはいられなくて、よく物をよく壊しては父に叱られていました。
そんな元気いっぱいに見える私でしたが、実はとても繊細で、傷つきやすい一面を持っていました。
こだわりが強くて一度言い出したら引かず、正義感も強い。だけど、人見知りで、驚きやすくて、ビビリ。
人の気持ちに敏感で、自分の感情もうまくコントロールできず、心の中ではいつも小さな葛藤が渦巻いていました。
・人の顔色をうかがって、気を使いすぎる
・他の人が叱られていても、自分までドキドキする
・自分のことより、他人を優先してしまう
・誰かのささいなひと言に深く傷つく
・何か悪いことがあると、「自分が悪かったのかも」とすぐに落ち込んでしまう
そんな風に過剰に反応してしまう自分に、戸惑いを感じることもありました。
ある日、先生に注意されたことがずっと心に引っかかって、不安な気持ちが何日も続いたことがありました。
思いきって友だちに相談すると、「え?まだそんなこと気にしてるの?」と言われてしまい、そのひと言にさらに傷ついてしまったのです。
「こんな小さなことで引きずってしまう私はおかしいのかな・・・」
そう思って、ますます自分を責めてしまいました。
私は一見社交的で、周囲からは悩みなんてなさそうに見えていたかもしれません。
でも、本当の私は、繊細で、気にしすぎてしまう自分を隠すために、明るく元気なフリをしていたのです。
「もっと強くならなきゃ」
そう言い聞かせて、自分の心の声にフタをしていました。
私は、父、母、祖父母、姉と6人家族で育ちました。
けれど、両親は共働きで忙しく、甘えたい気持ちがあっても「迷惑をかけちゃいけない」と我慢することが多かったのです。
父は仕事に没頭しよく怒鳴っていました。
母は家事と祖父母の世話に追われていつも手一杯。
寂しくて、「もっと甘えたいな・・・」と心の中で思っていても、それを口に出す勇気はなかなか持てませんでした。
小学生の頃には、いじめも経験しました。
無視されたり、悪口を言われたりする日々。
「どうしてこんなひどいことをするの?」と心の中で思いながら、
「自分さえ我慢すれば・・・」と耐えるしかありませんでした。
反発することも、誰かに助けを求めることもできず、つらさを一人で抱え込んでいました。
一度だけ、勇気を出して母につらい気持ちを話したことがあります。
そのときは先生も交えて対応してくれたのですが、それが逆効果になってしまい、状況はかえって悪化してしまいました。
学校に行くのが怖くなって、「行きたくない」と訴えても、母は休むことを許してくれず・・・。
「誰も私の気持ちを分かってくれない」
と寂しさを募らせていきました。
高学年になってクラス替えがあり、「これでやっと解放される」とほっとしたのも束の間、また新しいクラスでもいじめの対象にされてしまいました。
「私は受け入れられないんだ・・・」
そのときの深い悲しみと孤独感は、今でも覚えています。
この体験が、私の「自己価値」を大きく下げてしまったのだと思います。
そんな中、心の支えになったのが、大好きなぬいぐるみたちでした。
不安な夜も、寂しさを感じた日も、ぬいぐるみを抱きしめることで、ほんの少しだけ心が癒されていました。
それでも、年の近い従兄弟たちと遊ぶ時間や、おじいちゃん・おばあちゃんが優しく接してくれる時間には、ホッと安心できる気持ちになっていたのです。
今振り返ってみると、
田舎の穏やかな環境、そして、温かく見守ってくれる存在に囲まれていたことで、私は救われていたんだなと、今になって感じています。

テニスに夢中になり、あがり症と戦った【中学生】
中学校に入学し私は、新しい環境にワクワクしながら学校生活をスタートさせました。
テニスコートで先輩たちが打ち合う姿に魅了されて、
「私もこんなふうにプレーしたい!」と思い、迷わず入部を決意。
一見すると優雅なスポーツに見えるテニスですが、実際はとてもハードで、顧問の先生や先輩たちの指導は厳しいものでした。
それでも、「うまくなりたい!」という気持ちで、毎日の朝練や放課後の練習に全力で取り組みました。
特に外周10週の体力トレーニングはつらくて涙が出そうになることもありましたが、負けず嫌いの私は自分を奮い立たせ、諦めずに走り続けました。
2年生になると、ようやくラケットを握らせてもらえるようになり、嬉しさでますます気合いが入り、練習が本当に楽しくなりました。
そしてついに、代表選手に選ばれたときには、「やったぁ!」と、努力が認められて心の底から喜びました。
けれど、そんな私に大きな障害となったのが、「あがり症」でした。
人前に立つと他人の視線を強く意識してしまい、
緊張で体が固くなってしまうのです。
ある大会では、両親が応援に来てくれましたが、試合中にふと両親の姿を見た途端、緊張がピークに達してしまいました。
体が硬直し、ラケットをうまく握れなくなり、ミスを連発。
結果は、惨敗でした。
帰宅後、父親から「あれじゃダメだ」と厳しい言葉をかけられ、両親をガッカリさせてしまったことに深く落ち込みました。
緊張に負けてしまう自分が情けなく、
「どうして私はこんなに弱いんだろう」と自分を責める日々が続きました。
それでも、諦めたくない気持ちで次の大会に挑みました。
大会当日、
緊張でカラダが震えている私に、テニス部の部長がそっと近づいてきて、
「これを付けていたら勝てたから、まあやも頑張ってね!」と
お守りを渡してくれました。
その言葉に胸が熱くなり、希望が湧いたのを感じました。
部長の優しさが不思議と私を落ち着かせてくれ、そのお守りを身に付けて気持ちを支えながら、試合に臨みました。
結果は、なんと準優勝!
帰宅後、両親に報告すると、満面の笑みで「よく頑張ったね!」と喜んでくれました。
その言葉がどれだけ嬉しかったことか。
惜しくも優勝は逃しましたが、ここまで戦い抜いた自分に少しだけ自信を持つことができました。
部長にもらったお守り。
じつは、普通のヘアゴムだったのですが、私にとっては本物のお守り以上に力をくれるものでした。
あの時、部長が声をかけてくれなかったら、きっとすぐに敗退していたと思います。
あがり症の私が注目を浴びる中、準優勝できたのは、今思えば「奇跡」としか言いようがありません。
部長の優しさに心から感謝しています。

勉強する意味も、希望も見いだせなかった【高校生】
高校受験のとき、嬉しい出来事がありました。
それは、希望する高校の倍率が大きく上昇する中、見事合格できたことです。
この合格は、【家族の支え】が大きな力になりました。
心配して塾に通わせてくれた両親や、応援してくれた姉の存在がなければ、希望していた学校に合格することは難しかったと思います。
合格発表の日、
母と姉が一緒に付き添ってくれて、3人で受験番号を確認し
「やったぁ―――!」
大声で喜びあった瞬間は、今でも大切な思い出です。
しかし、その喜びもつかの間。
高校生活が始まると、すぐにまた次の試練が待ち受けていました。
小学生の頃に私をいじめていた子と、また同じクラスになってしまったのです。
過去の痛みが一気によみがえり、
「また、あの頃のようにいじめられてしまう…」と、恐怖と不安で胸がいっぱいになりました。
そのうえ、相手のささいな表情や言葉が気になっていき、
不安定な心の中で、
「勉強する意味って何だろう?」という思いがどんどん強くなっていきました。
興味のないことを覚えるのが苦手だった私は、特に文系科目に苦痛を感じ、
「こんなことを覚えて、将来何になるの?」という疑問が頭を離れませんでした。
逆に理数系の科目は方程式を覚えれば答えを導ける単純さがあり、問題を解いたときのスッキリ感で楽しめましたが、文系科目との成績の差が目立ち始めると、進路への不安がさらに増しました。
入学当初は学年順位でなんとか上位だった私も、「完璧にできない自分」を責める癖が原因で、次第に成績が下がっていきました。
綿密に計画を立てても、つまずくたびに自分を責めてしまい、
「私はダメだ」
「どうせできるはずがない」
という思いにとらわれて、途中で諦めてしまう――、そんな悪循環に陥っていました。
さらに、いじめの不安や周囲とのギャップ、感受性の高さも重なり、心がどんどん追い詰められていきました。
「早く卒業して、この場所から逃げ出したい」
「ずっとここにいるなんて耐えられない」
そんな思いが私を支配し、高校生活に希望を見いだせずに過ごしていました。
それでも、どこかで「少しでも楽しい時間を作りたい」と思い、文化祭をきっかけに勇気を出して友だちに声をかけてみたのです。
すると、少しずつ協力してくれる人が集まりはじめ、みんなで話し合った結果、ドーナツ店を開くことに決まりました。
そして準備を進めていく中で、少しずつ一体感が生まれていきました。
文化祭当日は、イベントの盛り上がりを体感することができ、みんなで力を合わせて準備した楽しさに救われ、ほんの少し、高校生活に明るい思い出を刻むことができました。

両親への感謝と、刺激的な出会いで視野を広げた【短大生時代】
進学を諦めて投げやりになっていたにもかかわらず、両親は進路について一緒に考えてくれ、「将来のために」と東京への進学を勧めてくれました。
自分ではどうにもならなかった状況の中、両親は惜しみなくお金と愛情を注いで支えてくれたのです。
その献身的な姿勢に、今でもどれだけ感謝してもしきれません。
心の底から「本当にありがとう」と伝えたいです。
私の数少ない得意科目が数学だったことを考慮して、情報系の短大を選択し、すでに東京で大学生活を送っていた姉と一緒に、二人暮らしを始めました。
「諦めていた短大生活だからこそ、自分を変えて充実させたい!」
という希望を胸に、新しい環境での2年間を意味あるものにしたいと思いました。
引っ越した当初は、未知の世界への不安もありましたが、新しい街や学校への期待感がそれを上回り、ワクワクした気持ちでいっぱいでした。
学業は専門的な内容についていくのが大変でしたし、金銭面の余裕はなかったのでアルバイト生活を続けていましたが、バイト先で出会った仲間たちが、私の視野を大きく広げてくれたのです。
癒やし系美人のマユミ、海外経験豊富で帰国子女のエミ、バンドでボーカル担当のリコと私は自然に打ち解け、4人で集まっては、恋愛や将来の夢について語り合いました。
人との距離を縮めるのに時間がかかる性格の私にとって、彼女たちと過ごす時間は、「自分が受け入れられてる」と実感でき、心の成長にもつながるものでした。
「興味があっても挑戦する勇気が持てない」
そんな自分の思い込みを彼女たちは壊してくれ、
「努力すれば叶うよ!」
「何もしないで、諦めるなんてもったいない!」
「夢は叶えるためにあるんだから!」
その言葉に励まされ、私は新しいことにも挑戦するようになりました。
その一つが、リコに誘われた卒業旅行です。
行き先はイタリア。
海外に興味を持ったことがなかった私にとって、人生初の海外旅行はとても刺激的な体験でした。
計画をほとんど立てず、バックパックを背負い、ユースホステルに泊まりながら、その日の気分で行き先を決めていく自由な旅。
旅先で出会った人とのコミュニケーションは、言葉の壁に苦戦しましたが、イタリア語や英語を必死に使い、旅先の人々と心を通わせる瞬間に感動しました。
石畳の街並みや、朝のバールで味わうカプチーノ、すれ違う人たちとの「チャオ」のあいさつ――
見るものすべてが新鮮で、日常を忘れるほどの経験でした。
時にはハプニングに見舞われ、飛行機に乗り遅れそうになることもありましたが、それすらも今では大切な思い出です。
リコとの旅で交わした
『出会えて良かったね』
『最高だね』
という言葉は、私の心に深く刻まれています。
この旅行は、私にとって人生のターニングポイントでした。
視野を広げ、新しい価値観に触れたことで、「挑戦することの大切さ」を学んだのです。
両親の支え、そして仲間との出会いと経験が、私の心を大きく成長させてくれました。

仕事で大失敗、消えてしまいたかった【新入社員時代】
刺激的な短大生活を卒業し、その後、カフェで働きたいと夢を持って就職活動を始めましたが、その夢はあっけなく崩れ去りました。
私を待ち受けていたのは苦手な面接。
人の視線を強く意識してしまう私は、緊張が抑えられず、学生時代からの「あがり症」が原因でうまくいきませんでした。
さらに、父親から「正社員でなければ東京での一人暮らしは認めない」と言われ、自分の意志を貫いて生活していく自信もなく、結局、学校の支援を頼りに、システム会社に就職しました。
「きっと、大丈夫、なんとかやっていける」
と自分を励ましながら、新しい環境に馴染もうと努力しました。
ミスをしないように慎重に行動し、一つひとつの仕事を覚えることで、何とか日々を乗り切っていました。
けれど入社2年目、思いもよらない大きな壁に直面しました。
プレゼンの悪夢を体験をしてしまったのです。
所属チームが新製品のプレゼンをすることになり
部長から、「この機会にみなさんに発表してもらいます!」と告げられ
あがり症の私が、まさか人前でマイクを持って話さなければならないなんて・・・
想像しただけで逃げ出したくなりました。
過去の緊張体験が頭をよぎり
「どうしてこんなに人前が苦手なんだろう」と自己嫌悪に陥りました。
それでも、断るという選択肢すらなく、逃げるわけにもいかず、
「乗り越えなきゃ」と言い聞かせ、準備を進めました。
予行練習をくり返し、資料のチェックを何度も行い、
「私はできる。大丈夫、やれる」と自分に言い聞かせました。
でも、
本番が近づくと、心臓はバクバク鳴り、全身が震え、息苦しさを感じました。
部長に、「そんなに緊張しなくてもいいよ」と笑われ、さらにプレッシャーが増してしまい、頭が真っ白に。
結果、声は震え、説明は途切れ途切れになり、会場全体が冷ややかな空気に包まれました。
大勢の視線が私を刺すように感じられ、プレゼンが終わった後も、情けなさや恥ずかしさが胸を締めつけました。
「もう、こんな自分なんてイヤだ」
「ここから逃げたい」
「消えてしまいたい」
――そんな思いが頭を巡りました。
「できないヤツだ」と周りから言われている気がして、
自分の無能さに失望しました。
失敗がトラウマとなり、会社の電話が鳴るだけでカラダが硬直し、声が出せなくなるほど。
家に帰っても、冷ややかな視線の記憶がよみがえり、夜も眠れなくなりました。
仕事もハードで、連日の残業や終電帰りが続き、心身ともに限界が近づいていました。
ただただ自信を失っていくばかり。
3年目を迎える前、私は「辞めよう」と決意しました。
このままでは自分自身が壊れてしまうと思ったからです。
仕事に失敗したことも、職場環境に馴染めなかったことも、HSP気質の繊細さが影響していると気づいたのは、辞めた後でした。
この経験は、私にとって挫折ではありましたが、同時に「自分の特性を受け入れる」ための第一歩でもありました。

私を救ってくれた【カメラ】の世界
失敗がずっと心に残り、人と接することが怖くなっていった私を救ってくれたのは、父が昔使っていた「フルマニュアルの一眼レフカメラ」でした。
カメラを手に取ったとき、レンズ越しに広がる世界に引き込まれました。
絞りやピントを合わせる感覚、シャッターを巻き上げる感触や手巻きフィルム、1つ1つの操作の駆動音——どれも新鮮で楽しくて。
しばらく使い続けると、仕上がりを想像しながら写真を撮るワクワク感を味わえるようになりました。
スクールに通い始めた頃は、初対面の人たちと会うのが怖くて不安でいっぱいでしたが、同世代の女性たちがたくさん参加していて、共感できることが嬉しく、少しずつ馴染むことができました。
スクールでは現像の仕方まで教わり、自分の撮った写真を暗室で現像し、浮かび上がる瞬間、その感動は何にも代えがたいものでした。
「こんなにも楽しいことがあるんだ」と思えた瞬間でした。
気づけば、友人たちから「いい趣味持ってるね、カッコいい!」と言われるようになり、私は毎週のようにカメラを首から下げて撮影に出かけるようになりました。
不安や葛藤の多い日々の中で、カメラを通じて自分の世界に没頭できる時間は、ほんの少し自信につながったのだと思います。
カメラをきっかけに、少しでも興味を持ったことには積極的に挑戦し、勉強や習い事を始めるようになりました。
イタリア語教室に通ったり、ホームページを作ったり、スキューバダイビングや山登り、社交ダンスやフラダンスなど。
やってみて自分に合うものもあれば、違うと感じるものもありましたが、挑戦することで広がる世界が確かにありました。
あるとき姉に「好きなことに夢中になっているとき、まあやはいつもイキイキしているね」と言われ、自分らしさを見つけることができた気がしました。
人とのコミュニケーションが苦手な私にとって、趣味を通じて没頭できる時間は、自分を取り戻す大切なひとときだったのだと思います。

心をすり減らした【社会人生活】そして、人生を取り戻すキッカケ
システム会社を退職したあと、しばらく心と体を休ませる時間をとりました。
少し元気を取り戻した私は、新しい職場に就職し、結婚も決まり、「やっと人生が落ち着くかもしれない」と思っていました。
けれど――
どれだけ環境が変わっても、苦しんでいる”自分の内側”までは変わっていませんでした。
東京に来てから、何度か恋愛を経験しました。
でも、私はいつも自信がなく、臆病で、不安でいっぱい。
「本当に愛されているのかな?」
「どう思われているのだろう?」
頭の中は、そんな思考でぐるぐる・・・。
好きな人ができても、素直になれずに傷つくことが多かった私が、ようやく素直な気持ちを伝えられたのが、当時の夫でした。
この結婚で、やっと幸せになれると信じていました。
けれど、現実は違いました。
次第にさみしさが募るようになり、なぜか心が満たされない。
「完璧な妻でいなければいけない」
「家事は女性がするもの」
そう思い込んでいた私は、共働きにもかかわらず、一人で背負いこんでいました。
だんだん心がすり減っていって─
3年で限界を迎え、離婚。
そのときの私は、「私は失敗者だ」「愛される資格なんてない」と、自分を責める気持ちでいっぱいでした。
誰にも本音を話せず、心にフタをして、殻に閉じこもるようになっていったのです。
それでも、なぜか私の中にはずっと
「誰かの役に立ちたい」
という想いが消えずに残っていました。
結婚に失敗した分、仕事だけでも認められたい、そう思った私は転職し、また全力でがんばりました。
新しい職場では、デスクワークだけでなく、接客や商談、企画開発から出張まで任され、多忙な日々。
毎日がプレッシャーと緊張の連続でした。
特に、苦手な人前で話す会議では、過去のトラウマがフラッシュバックすることも。
声が震え、心も体もこわばってしまいました。
それでも、唯一「楽しい!」と感じられたのが企画開発の仕事。
自由な発想でアイデアを形にしていくプロセスは、私の中にある“創造性”が輝く瞬間でした。
「これなら自分にもできるかもしれない」
そんなふうに、ほんの少しだけ自信を持てるようになりました。
とはいえ、心の根っこにはずっと
「人の何倍も努力しないと、認めてもらえない」
という思い込みがこびりついたまま。
誰にも頼れず、残業も休日出勤も当たり前。
無理を重ねながら働き続けた結果、入社6年目には昇進し、私が手がけた商品プランが全国展開され、表彰までされました。
それでも―
どれだけ結果を出しても、「まだ足りない」「もっと頑張らなきゃ」という焦りと、自己否定が心を占めていました。
さらに、上司から「パワハラ」が始まりました。
威圧的な態度、デスクを勝手に漁られる行為。
「逆らうのか?」「いつでも飛ばせるんだぞ」
そんな言葉を浴びせられる日々。
私にとって、それは「恐怖」そのものでした。
誰に相談しても、状況は変わらず、ストレスは溜る一方。
気づけば、心も体もボロボロになっていて
ついに、12年間勤めた会社を退職する決断をしました。
その後の1年間は、何もする気力も湧かず、朝が来たら起きて、暗くなったら寝るだけの毎日。
人間関係も、恋愛も、結婚も、仕事も・・・
すべてがうまくいかない。
「私の人生、何をやってもうまくいかない」
「もう、頑張れない」
そんな思いが胸をしめつけ、ベッドの中で泣きながら、ただうずくまるしかありませんでした。
―――限界。
心の中で、そう呟いたあの瞬間。
何かが、静かに崩れていきました。
でも。
あのときからです。
私の人生に、少しずつ光が差し始めたのは。
心がズタズタで、抜け殻のようだった私を救ってくれたのは、「スピリチュアル」の世界でした。
その中で偶然出会ったのが、「マヤ暦」。
それは、占いでも宗教でもなく、“本当の自分に出会うための学び”でした。
私は初めて、自分の「本質」や「生まれてきた意味」を知り、
ずっと探し続けていた“本当の自分”の存在に気づき始めたのです。
そこから、少しずつ人生の流れが変わっていきました。

自分を知ることで、人生が動き出した~【マヤ暦】との出会い~
自分の内側に意識を向けるようになってから、私の毎日は驚くほど穏やかに、確実に変化していきました。
以前の私は、繊細で自己否定が強く、いつも周りの目を気にしてばかり。
人と比べて落ち込んでは、「どうして私はうまくいかないんだろう」と責めてしまう日々でした。
そんな中で出会ったのが【マヤ暦】です。
学びを通して、自分の本質や生まれてきた意味を知り、
「私は何をするために生まれてきたのか」「どんな才能を持っているのか」
その答えが少しずつ見えてきました。
その瞬間、胸の中に光が差し込んだような感覚がありました。
自分の使命を知ることで、「私はこのために生きている」と感じられ、初めて心から自分を信じられるようになったのです。
「私のままでいいんだ」
そう思えたことで、迷いや不安がすっと消えていきました。
進むべき道が見えたことで、行動する勇気も自然と湧いてきました。
人前に立つと緊張で言葉が出なかった私が、
今では思いを伝えることを楽しめるようになったのです。
特別な力を得たわけではありません。
自分らしさを取り戻しただけで、世界の見え方がまったく変わりました。
そして何よりも大きな変化は、
「私は愛されている」と、自然に感じられるようになったこと。
理想のパートナーと出会い、心から安心できる関係を築けたのも、
まず自分とのつながりを深めたことが始まりでした。
心が穏やかになるにつれ、周りの人間関係も変わっていきました。
以前のように無理をしたり、我慢して合わせたりすることが減り、
気づけば、私を苦しめていた環境や人間関係も少しずつ離れていったのです。
今では、心の底からこう思います。
「私らしい人生って、こんなにもあたたかくて、自由で、心地いいんだ」と。
かつての私は、仕事に追われ、心も体もすり減らしていました。
小さなミスに落ち込み、厳しい言葉に傷つき、自信をなくしていた日々。
「このままで本当にいいの?」―
そう心の声に気づいた瞬間から、少しずつ運命の歯車が動き始めました。
「自分らしい人生を、諦めたくない」
その想いだけが、私を前へ進ませてくれました。
心理学やスピリチュアルを学びながら、たくさんの時間とエネルギーをかけて自分と向き合いました。
資格を取り、学びを重ね、インドでの学びの中でも深い気づきを得ました。
これまで自己成長のために費やした自己投資は1000万円を超えます。
けれど、それ以上の価値があるほどに、心の安らぎや自己とのつながりはかけがえのないものです。
数ある学びの中でも、マヤ暦との出会いは特別でした。
私の名前と同じ「マヤ」という響きに、運命のようなつながりを感じたのも印象的でした。
初めて学んだとき、ただ知識を得るというより、
心の奥で“本来の自分を思い出すような感覚”がありました。
それが、自分を理解し、受け入れることにつながったのです。
今では、マヤ暦は私にとって“人生の軸”。
自分を愛し、使命を生きる―そのすべてのベースにあります。
変化していく自分を感じながら、
「私のように悩んでいる人の力になりたい」と思うようになりました。
初めてお仕事をいただいた日のことは、今でも鮮明に覚えています。
胸の奥からあふれる感謝と感動に、涙が止まりませんでした。
そして気づいたのです。
「自分と深くつながることで、人生はちゃんと流れ出す」と。
うまくいかない時期も、落ち込む日もありました。
それでも、自分を信じて歩みを止めなかったからこそ、
たくさんの導きやシンクロが訪れるようになりました。
今は、夢見ていた人生を、現実として生きています。
人とのつながり、愛や感謝の循環が、
本当の幸せを育ててくれているのだと、心から実感しています。

絶望から感謝にあふれる毎日へ~私が歩んだ豊かさへの道~
今の私は、セラピスト・講師として、たくさんの方とご縁をいただきながら活動しています。
日々、自分らしく、心から満たされる時間を過ごせていることに、しみじみと幸せを感じています。
かつての私には想像もできなかったような、あたたかく豊かな日々。
それは、決して一夜にして叶ったものではなく、
時間をかけて自分と向き合い、少しずつ育んできた“内側の変化”の積み重ねでした。
これまでに学んできたこと、経験してきたこと、
そして何よりも、失敗や迷いの中で得たたくさんの気づき。
その一つひとつが今、誰かの心を軽くするための大切なギフトとなり、
私自身の人生を、深い喜びと感謝で満たしてくれています。
「まあやさんに出会えて、本当によかったです」
そんな言葉をいただくたびに、胸の奥があたたかくなります。
かつての私の経験が、今こうして誰かの希望につながっている―
それほど嬉しいことはありません。
あの頃、「私はもっと輝きたい」と心の奥で願っていた夢が、今、現実になっています。
自分らしく生きることを選び、ひとつひとつ行動してきたその先に、
こんなにも心満たされる日々が待っていたなんて、当時の私は信じられなかったです。
もちろん、ここまでの道のりは平坦ではありませんでした。
挑戦してはつまずき、落ち込んでは「やっぱり私には無理かも」と感じたことも何度もありました。
人間関係に悩み、自分の感情に振り回され、
息苦しさの中でもがいていた時期もたくさんありました。
そんな私を救ってくれたのが、マヤ暦との出会いです。
自分の本質を知り、「このままで大丈夫なんだ」と心から感じた瞬間、
世界の見え方が少しずつ変わっていきました。
人と話すのが苦手だった私が、今では講座を開き、セッションを通して誰かの背中をそっと押せるようになった。
好きなことを仕事にできるようになったことは、まさに奇跡のようです。
敏感で、繊細で、生きづらさばかりを感じていた私が、
「このままの自分でよかった」と思えるようになったのは、
これまでのすべての出来事が“自分らしさ”を思い出すための旅だったから。
マヤ暦を通して、自分を受け入れることの大切さを学びました。
そして、未来は自分の選択でつくっていけるのだということも。
今では、朝目覚めるたびに穏やかさを感じ、心地よい毎日を送っています。
それは外の環境が変わったからではなく、
私の“内側”が整ったからこそ見える世界なのだと思います。
今、私は人生のすべてに感謝しています。
つらかった日々も、迷いの時間も、すべてが私を今ここへ導いてくれました。
「そのままの私で、本当によかった」
「自分を信じてきて、本当によかった」
今は、そんな気持ちを静かに抱きながら、日々を過ごしています。
自分を信じて、選び、行動してきたからこそ、
私は今、望んでいた人生を、穏やかな喜びとともに生きています。

おわりに
この本を手に取り、最後まで読んでくださったあなたへ。
本当に、心からありがとうございます。
かつての私は、夢は叶わないものだと思っていました。
人生は我慢の連続で、何かを犠牲にしないと願いは叶わない・・・
そう信じて、ずっと無理をして生きていたように思います。
けれど、どんなに遠回りをしても、諦めらきれない気持ちがありました。
そして、自分自身と向き合い続ける中で、心の奥から湧き上がる「私は輝きたい」という声に、やっと気づくことができたのです。
何度も挫折を経験してきた私ですが、心と意識が変化するにつれて外側の世界も少しずつ変わり始め、心の充足感や自信を得ることができました。
「自分と深くつながる」
それだけで、未来はこんなにも変わるんだと知りました。
そして今、こうして自分らしく生きることを選び、
たくさんの素敵な方々と出会い、
共に喜びを分かち合える毎日を生きられていることに、心から感謝しています。
この本に綴った私の経験が、
かつての私と同じように悩んでいるあなたの
小さな希望の灯りとなれたなら、こんなに嬉しいことはありません。
ここまで来るには、たくさんの回り道がありました。
「人生を変えたい」と思って学びを深めても、なぜか満たされず、心の奥にモヤモヤを抱えていたこともあります。
同じように、何かが足りないと悩んでいる方もいるかもしれません。
自分に厳しくしすぎて、無理をして頑張りすぎたり―
でも、本当は、あなたの中にはすでにすべてがあるのです。
必要なのは、自分とちゃんとつながり直すこと。
「本当の自分」に戻ることで、未来は大きく開いていきます。
私はこれからも、
「自分とつながり、本当の幸せを生きたい」と願う方々が
軽やかに、自分らしく歩いていけるよう、心からサポートしていきたいと思っています。
私の経験が、あなたの背中をそっと押し、
新たな一歩を踏み出す力となることを、心から願っています。
そして、
あなたが、あなたらしい光を取り戻し、
これからの人生を、やさしさと喜びで満たして生きていかれますように。

